熊本地震を振り返って

2016年4月16日「本震」

本震の後、阿蘇大橋近くの妻の実家と連絡が取れなかった時の事は、今でもはっきりと覚えています。

すぐに近くまで軽トラで走り災害の状況を見たとき、現状を理解するのに時間はかかりませんでした。消防や村役場を通じてみんなの無事を確認した後、南阿蘇の観光業が厳しくなった事は直感でわかりました。

熊本地震の直後

熊本地震のあと、2週間の避難所生活を送りました。

ライフラインは、LPガスを除いて全て止まりましたが、本震直後に久木野庵の枯井戸が湧き始め、その湧水が地域の人たちの生活を支えてくれました。湧水を沸かしてお茶を入れて、持ち寄った米を炊き、ご近所と非難してきた家族みんなの食事を作りました。

それから、地域おこしに取り組んでいた「あか牛ロード協議会」の仲間と避難所の道の駅で炊き出しを行い、被災者の皆さんの笑顔に救われました。そんな中で、日ごとに増員された自衛隊の隊員の皆さんの献身的な姿には本当に励まされました。

久木野庵は地震発生から18日後の5月4日に営業を再開。
再開直後には、行政支援に来られている他県の職員さんの朝食と夕食を作ってほしいとのお話があり、毎日、徹夜で復興に尽くすことになった村役場と消防におにぎりを届けました。朝食づくり、そば屋の昼営業、夕食づくり。行政支援の職員さんの食事の提供とそば店営業で何とか売り上げを作り、諦めずに営業を続けました。

それから

持続化補助金の事業計画に取り組み成果を残したり、経営ゼミで経営理念を作成したのはその後のこと。

熊本地震で増額された中小企業持続化補助金の申請が認められ、10月から本格的に事業計画に取り組むことができました。その間、私の精神的な支えは家族の笑顔であることを再確認できました。

前回も書きましたが、私の志は「久木野庵の灯りをともし続けることで、南阿蘇を元気にしていくこと」です。南阿蘇の現状をありのまま伝えることで、南阿蘇の空気を感じていただけたらと思っています。

はじめまして、久木野庵です

久木野庵スタッフ

みなさんはじめまして。水が生まれる里、南阿蘇村でそば屋と農業を家族で営んでいる、久木野庵店主の浅尾秀一郎と申します。

これからの話は、地域のこと、家族、久木野庵のこと、自分自身のお話にもなりますので、南阿蘇の牧歌的な風景などを思い浮かべながら読んでくださるとうれしいです。

南阿蘇はこんなところ

南阿蘇村は、阿蘇五岳と外輪山に囲まれたすばらしい里です。村には、約1万1千人の人情味あふれる人達が暮らして、飲食店は約230店舗あります。
また多くの水源があり、南阿蘇は水の生まれる里でもあります。白川地区の白川水源はとても有名で、毎分60トンもの湧水が湧き上がっています。久木野庵のそばにも湧水があり、そばにはその伏流水を使っています。
鉄道があり、鉄道ファンにはたまらないトロッコ列車も走っています。何気ない田舎の風景ですが、南阿蘇ならではのノスタルジーを感じさせる美しい景色でもあります。

私がそば職人になるまで

私は昭和42年12月24日生まれ。平成8年に同じ歳の妻と結婚し、1男2女の3人の子供がいます。両親は70代、まだまだ現役で頑張っています。

私が小学校へ入学するまで、熊本大学のグラウンドの近くで森永牛乳の販売店を営んでいました。当時は従業員も多く、繁盛していたことを覚えています。
そして、私の小学校入学の直前に南阿蘇に帰ることが決まり、農業を再び継いで米と畜産、花をつくる花卉農家、そば屋と兼業の農家、それから50人規模の旅館業の管理業務全般などの仕事をしてきました。

私は南阿蘇で中学まで暮らし、高校、大学、社会人まで健軍と尾ノ上で暮らしていましたが、両親が旅館をはじめる時に、南阿蘇へ帰り旅館業の仕事に就きました。旅館での1日は住み込みで、朝食づくりから始まり、フロント、デスクワーク、食材の買い出し、夕食づくり、地域の消防団や商工会活動などと、忙しい毎日でした。また大手の証券会社の不動産部門の会社が運営していましたので接待も多く、いろんな人間模様を見ることができ、いい経験でした。

しかし2001年1月に不況のあおりを受け、旅館の売却が決まり、全員解雇となりました。その後、その場所に今の『夢しずく』ができました。その時の私たちには、1才の長女と2人目の子供を妊娠している状況でしたが、両親とともにそば屋を再び始めることになりました。

そこで私は、東京葛飾区の「江戸東京そば玄庵」のそば教室へ1ヵ月だけ住み込みで入りました。そば屋での研修を習い終えて、玄庵出身の兄弟子のそば屋へ通いの修行を8年程つづけ、俵山トンネルの開通に合わせて店舗を改装し久木野庵を継ぎ、現在までそば屋一筋できています。

久木野庵は、平成元年3月に両親が開業した手打ちそば専門店です。当時は村の議員でもあった父が、そばで地域おこしを考え、長野で研修したのちに創業し「そばの里 久木野」の出発点になったと聞いています。

平成15年の入店以来、地域の方々や同業の先輩方に育てていただき、そば職人として、社会人として大きく成長することができたと思います。

久木野庵の基本精神

さて、私が行き着いた基本精神は、「絆をつなぎ、人の役に立つ」ということです。

「美味しいそばを食べたい」、「久木野庵のスタッフと話がしたい」と足繫く通ってくださるお客様の為に食材の安心と安全に取り組み、ゆったりとくつろげる環境を整えることでお客様に満足していただき、お客様との絆を深いものとしていきたいと思っています。

そのためには、「そば屋の仕事を楽しんでいただくこと」が重要です。そば職人の口伝を守り、そばを美味しくするための技術の向上に打ち込み、これまでに体得したそば作りの知識や技術を通して、お客様、従業員、取引先など私たちと関わる方々との絆をつなぎ、人の役に立てる行動をおこしたい—そう思っています。

久木野庵の経営理念

「お客様にとって楽しいそば屋」
私たちは、食の安心と安全性を高めることでお客様に満足をお届けし、そば屋の楽しみ方を提案することを仕事とします。

「スタッフにとって楽しいそば屋」
私たちは、スタッフとともにそば職人の口伝にそった仕事内容の向上を務め、日々の仕事の中にある楽しさと喜びを理解できる環境をつくります。

「地域にとって楽しいそば屋」
私たちは、地域の方々から親しまれるそば屋を目指して努力を続け、そば屋の楽しさを実感し、日頃の疲れを癒すことができるそば屋であることで、地域社会に貢献していきます。

これからの久木野庵

久木野庵は家族で必死に守ってきたそば屋です。今後もそこは、ぶれることはありません。そば屋の2代目として、これからのあり方の「原理原則」を探っているところです。

2016年の熊本地震で、南阿蘇は大きな打撃を受けました。2019年に俵山トンネルルートが開通し、ついこの前の2021年3月、新阿蘇大橋が開通したばかりで賑わいを取り戻しつつありますが、元通りになるにはもう少し時間がかかるのではと思います。

私の志は、「久木野庵の灯りをともし続けることで、南阿蘇を元気にしていくこと」。

そば屋の仕事を楽しんでいただくことでお客様に満足していただき、食の安心と安全を提供することがミッションだと思っています。

「南阿蘇を元気にしたい」という思いをベースに、何ができるのかを自問自答しながら、南阿蘇の魅力を発見して情報を発信していきます。どうぞ宜しくお願いします。